グループ展「だれもいないまちで」
この展覧会では、小林耕平の「1-10-1」、西尾康之の「蟻塚、ジオラマ」、杉浦慶太の「惑星」の連作という人間の登場しないジオラマの世界や無人の町の風景をモチーフに据えている作品を一同に展示することで、『ひと』への問いを立ち上がらせることを試みます。
小林耕平の「1-10-1」は、人体はおろか人の気配までをも排除した白いジオラマの世界を撮影し、構成したモノクロ/無音の映像作品です。紙製のジオラマの街は住宅群、遊園地、倉庫、公園のような我々が日常の中で体験してきた光景のようでありながら、全く特定できない無表情で奇妙な「場所」に感じられ、滑るように白い幻影の世界を延々と捉えて進んでゆくこの作品は、一種の悪夢のように私たちの胸に迫ります。
西尾康之の「蟻塚、ジオラマ」は指で彫り進んだ雌型から形を起こす西尾独特の技術、陰刻鋳造でつくられた都市の模型です。およそ1メートルから1メートル半程度の大きさに縮小されたタワーやビル群が織りなす約3メートル四方の異形の街は、言うなれば人間の「巣」のジオラマであり、西尾の指の形のままに内側から膨らんだ無数の窓や構造体は、作家の身体の痕跡そのものです。マクロ的視点から人類の活動を見渡した際に、ビルの内側に凝る生命力のうごめくような脈動を感じずにいられないでしょう。
杉浦慶太は主に写真表現を用い、精力的に活動を続けている岡山県在住の作家です。
この度のテーマに沿って出品される作品は「惑星」と名付けられた連作の中の一部です。この作品群では田舎町の深夜の水銀灯や、自動販売機、ガソリンスタンドなどを映し、包まれるような巨大な暗闇の中に屹立する人口の光を切り取っています。どこの田舎町でも見かけるこの光景は、利便性の追求が土着的な匂いを駆逐して行く、均質化された現代社会の哀しみをドライに伝えてくるようです。
三者の作品の中には、人間の姿はありません。しかし、人間でしか作り得ない構造物を前にすることで、“人間”そのものの存在感が逆説的に際立ってくる作品であるとも言えます。これらの作品に対峙した人間は丸ごと飲み込まれ、佇んでしまう、そんな緊迫感に満ち満ちています。だれもいないまちに取り残された我々は、その無音の世界の隙間から立ち上る、鳴り止まぬ耳鳴りに何を聞くのでしょうか。